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当主の聞き書き(12) [当主の聞き書き]

質)主屋の復元修理にはお母さんのたきさんの尽力が大きかったですね?

答)  [・・・当主思い出してか、涙目になって黙すのみ・・・]

  松坪は指定前に大病をして以来、病気がちで、修理のころは内にこもって、悠々と絵ばかり描いていた。しかしその場に居るというだけで十分重石になっていたと思っている。

 

質)当時は雨漏りなどひどかった?

答)それはひどかった。 大雨の時など、あちらで漏った、こちらで漏った、

  座敷でも漏っていると大騒ぎだった。

  

瓦葺きと違い、茅葺の雨漏りは厄介だ。雨水があちらこちらと移動するのでどこが雨漏りの元か分からない。今ここで雨を受けるものを置いても、すぐに別の所に移動する。追っかけあいしていた。

 

質)そんな状態が解体修理するまで10年くらい続いた?

答)ずっと雨には悩まされた。建具もがたがただった。子供の頃の思い出は

  「古い、大きい、天井が高い、埃だらけ、畳踏んだらぼこぼこ」だった。

  

友達の新しい家に遊びに行き、ピアノがあり、ソファがあり,ピカピカと 綺麗なのを見て、ほんとうにカルチャーショックを受けて目を見張った。

 

赤松が昭和9年に亡くなったが、そのころから国宝の話があって、昭和10年だったかそのころに東大の建築科の先生藤島亥治郎さんが、40そこそこだったが学生を連れてこの家に合宿して調査していた。

その時の図面をもらったと思う。

 

昭和12年の指定直前に伊藤忠太先生が来られて「この家は古くてモダンな家だね」と評したと松坪はひとつ話に言っていた。

松坪(しょうへい)もよほどこの言葉が気に入っていたようだ。

 (続く)